浦和レッズ大辞典・ハ行
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| バジール・ボリ |
| 1.97年まで在籍していたDF。コートジボアール出身のフランス人。元フランス代表。 2.ギド、田口らと共に「レッズの赤い壁」を形成。 3.彼のダイビングヘッドによるボールクリアは見物でした。 4.レッズ退団と同時に引退。TV解説者などをやっているらしい。 5.来日以前からのアダ名は「ゴール前の殺し屋」。たしかに。 6.現役時代からコートジボアールで孤児院を経営し、「ボリ基金」を運営していた。レッズでは岡野がよくカンパしてくれたらしい。 7.彼のお兄さんはパリSGの(おそらくは弟以上に顔の恐い(~_~メ))FWだった。 (5〜7:緊褌一番さま) |
| 柱谷幸一 |
| 1.レッズ低迷期のリーダー。守備陣のふがいなさから堀と一緒にFWから守備的MFへと転身するほど、レッズに貢献しようとがんばっていた。 2.哲二(元ヴェルディ)の兄。レッズに来る前は兄弟で日産(現横浜M)に所属。Jリーグ開幕とともに弟はV川崎に移り、天国と地獄の差を見た。 3.応援歌はおもちゃのちゃちゃちゃのメロディで「はしらのゴール、はしらのゴール、みたいはしらのごーる!」 4.2001年シーズンには山形で監督に就任。ナビスコで対戦するときが楽しみである。 (1〜4:宇部さま) |
| 初記録 |
| 1.レッズが妙に縁があるもの。 2.たとえば、95年、福田はJリーグで日本人初の得点王になった。 3.たとえば、96年、京都に公式戦&Jリーグ初勝利を献上し……… 4.たとえば、97年、試合途中に雷雨で試合が中止になったのも初めて。雷雨で停電による試合中断も初めて。 5.たとえば、97年、ゴールデンゴールを世界で初めて決めたのはレッズに所属している岡野。 6.たとえば、99年1stステージでは、Jリーグ初の引き分け&連続引き分け、最多引き分け。 7.たとえば、99年ナビスコ杯H&A方式の戦いで、ホームで2点先行をひっくり返されたのも初めて。 8.たとえば、99年、4試合連続延長Vゴールの負け……… 9.そして、99年、Jリーグ二部制・自動入れ替えが始まって初の……… 10.たとえば01年、J1の試合で初めてtotoの対象試合からはずされ…… 11.他にも探せばいっぱい出てくるんだろうなぁ……… (3:レベルさま) |
| 発煙筒 |
| 1.危険を知らせたり連絡したりする為に発煙剤を満たした筒。(国語辞典より) 2.RSPの禁断の最終兵器。92〜93年頃にはロケット花火と共に良く使われていたが、最近では『ここぞ!』という時(例;99.11.19など)にのみ使用され、物議を醸す。 3.消防法上、駒場を含め日本中のスタジアムは火器の使用は原則として禁止されている。 4.しかしROLLING STONES日本公演の際、東京ドームでの打上げ花火の使用に見られるように(←本当)、当局への許可申請が受理されれば法的には使用可能とされる。(「すごく難しいけど。」一消防庁関係者談) 5.このページをご覧の皆さん。危険(かつ犯罪)ですからマネをしないで下さい。<m(__)m> (1〜5:緊褌一番さま) |
| 原博美 |
| 1.浦和レッズ元監督。 2.ガッツポーズが変なジャージ監督。 3.選手からの人望は厚かったが、確固たるチーム戦術がなかったためなのだろうか、99年1stステージで結果を残せず更迭される。 4.99年9月からスペインへコーチ留学(のはずだが?)。 5.監督としての資質はともかく、選手としての彼は「アジアの核弾頭」と呼ばれ、その得点数は日本代表歴代3位を記録するスゴい人。 6.ヘディングが得意なのだが、そのせいで顔が……… |
| >>> ひ <<< |
| ビクトル・フェレイラ |
| 1.93年のJリーグ開幕に向けてモラレスと共に入団したFW。 2.『アルゼンチンの点取り屋』として祖国では有名だったらしいが、「一体どこで点取ってたんだ?」と突っ込みたくなる決定力の無さと猫の額のような行動半径で下位低迷の一因となる。 3.開幕から4試合出場してそのまま解雇となった。 4.右足くるぶしの手術歴を隠して入団したとんでもない選手。 (1〜3:緊褌一番さま、4:迷わず行けよさま) |
| 雛壇 |
| 1.駒場スタジアムの、東側ゴール裏の椅子のある自由席の一帯を通称でこう呼ぶ。 2.入場口から、遠い(^^; 3.「おばちゃん」の定位置でもある。たまに浦和ケーブルの河合貴子氏や浦和市議の田口氏などの姿を見ることが出来ることも。 |
| 広瀬治 |
| 1.MF。かつてはスイーパーもやっていた。フリーキックの名手。小野の台頭以前、背番号8と云えば彼だった。 2.応援コールは「ヒロ・ヒロ・ヒロ・ヒロセ・ヒロゴォルゥ・ゴー・ゴー・ゴー・ヒロセ・ヒロ・ゴォルゥ」。 3.某4コマ漫画だと、すっかりご隠居さんと化している。 4.2000年いっぱいで戦力外通告を受け、現役を引退。レッズのジュニアユースコーチとなる。 5.三菱自動車へ入社した当時は総務部不動産管理課に勤務していた。 6.2001年にオランダへ移籍した小野伸二のGoodLuckセレモニーで「元祖・背番号8」としてプレゼンターとなった。 |
| >>> ふ <<< |
| ファイナル5 |
| 1.リーグ戦のラスト5試合のこと。 2.降格争いの1999年、昇格争いの2000年と、「ファイナル5にかける!」という場面が現出したことが定着の原因か。 3.なお、1999年はファイナル5の初戦に敗れたため、「ファイナル4」とされる場合もある。 |
| フィリップ・トルシエ |
| 1.日本代表(A、U−23、U−20兼任)監督。98年W杯後に就任。 2.彼の就任後、なんか男色系ネタが掲示板に多くなったのは気のせい?(^^; 3.彼とサッカー協会(というか釜本氏)との確執はスポーツ新聞の格好のネタとなっている。 4.なんだかんだ云いながらもU−20世界選手権(99年)準優勝、シドニー五輪ベスト8、アジアカップ(00年)優勝と、結果は残している。 |
| フーリガン |
| 1.試合とは無関係にスタジアム内外で騒動(或いは暴動)を起こす人のこと。たまに政治的理由も混じるのでやっかい。 2.日本のマスコミはスタジアムでちょっとした騒ぎや喧嘩があればすぐに「フーリガン」とのたまうが、これは大きな間違い。 |
| フェルナンド・ピクン |
| 1.ウルグアイ代表のDF。1999年10月オランダのフェイエノールトよりレッズに移籍。背番号35。本名はフェルナンド・アルバロ・ピクン・デ・レオン。 2.同年行われた南米選手権(コパ・アメリカ)で、ウルグアイの準優勝に貢献したらしい。 3.当初99年中で帰国するともいわれたが、RSPの熱情をみて残留を決めたという噂。情が厚いのかな? 4.しかし、2000年シーズンでは不安定な守備が続き、最終戦では室井の退場+PKにつながる大失態を演じてしまった。同シーズンで戦力外通告を受けた。 5.DFラインを下げたがる病があった。 |
| 不可解な采配 |
| 1.レッズの、主として日本人監督によって行われる、「なんでやねん!」と突っ込みたくなる奇怪な行動。 2.横山監督のあたりから出現し始め、斉藤監督時代に開花したレッズの名物。(嫌な名物・・・) 3.大抵は破滅への道を歩むのだが、まれに勝ち戦になった場合は『奇策』と呼ばれたりする。滅多になかったけど (^^;) 4.類語『誤算』 5.具体例をあげていくときりがない上、悲しくなってくるために解説は控える。 (1〜5:緊褌一番さま) |
| 不可解な判定 |
| 1.Jリーグの、主として主審と副審によってなされる、「なんでやねん!」と突っ込みたくなる奇怪な現象。 2.2000年J2開幕のあたりから出現し始め、第3〜4節あたりで開花したJ2の名物、いや、もはや風物(ああ、嫌だ・・・) 3.大抵はRSPの盛大なブーイングを併発するのだが、まれにレッズに有利な展開になった場合は皆口をつぐんだように黙っている(当然か)。滅多になかったけど (^^;) 4.類語『誤審』 5.具体例をあげていくときりがない上、怒りが蘇ってくるために解説は控える。 6.ちなみに2000年のシーズンでは(これが原因の一つとなって)胃を痛めたRSPはかなりの数に登るらしい。浦和市某地域の某病院では神経性胃炎患者が激増し、院長は陰で『レッズ成金』と揶揄されたそうである。(某病院関係者談) (1〜6:緊褌一番さま) |
| 副審 |
| 1.副審判、あるいは線審、ラインズマン。 2.オフサイドなど、重要なジャッジをする人だが、これまた妙なジャッジをする副審も数多く存在する。 |
| 福田正博 |
| 1.ミスターレッズ、大将、PK職人などなど・・・の異名を持つFW。89/90シーズン日本リーグ2部得点王、95年Jリーグ得点王。 2.彼なくしてレッズの歴史は語れまい。 3.応援コールは「ゲットゴール福田(同項目参照)。 4.怪我に泣かされることが多く、「ガラスのエース」とも呼ばれる。 5.某河○△子リポーターが嫌いらしい!? 6.インタビュー時の口癖は「…っていうか〜」。 7.彼曰く、「僕はフォワードじゃない。ストライカーなんだ」 |
| 福永泰 |
| 1.ボランチから前ならどこでもできてしまう、けど本人の希望はFWな選手。 2.応援コールは「ヤス!、ヤス!」を連呼するタイプと、「フクナガ〜フクナガ〜……」と歌うタイプの2つがある。 3.二代目ガラスのエース。………と呼ばれてしまうほど、怪我をすることが多くなっている。それさえなければ代表も……… 4.吉野と見た目がよく似ている。 5.99年後半にチームを指揮したア・デモス元監督とは決定的に対立。会話どころか挨拶すらしなかったらしい。「監督がレッズに残留するなら自分は100%チームに残らない」と断言したほど。 |
| 福・福コンビ |
| 1.福田・福永の2トップのこと。 2.99年1stステージはこのコンビの爆発が期待されたが・・・・・ |
| ブライアン・スティーン・ニールセン |
| 1.デンマーク人MF。主として守備的なポジションをこなすが、ウーベ・バイン不在時は司令塔もこなした。 2.悪い選手だとは思わなかったのだけど、気が付いたら退団してました(汗) 3.コックさん。デンマークでピザ屋か何かをやっているらしい。 4.2000年のEURO2000でデンマーク代表に入っている。 |
| フラビオ |
| 1.本名はルイス・フラビオ・リベイロ・ファンゲルミーノ。 2.2000年10月に来日したフィジカルコーチ。元日本代表フィジカルコーチでもある。他に日本では読売(現東京V)や札幌でも指導経験がある。 3.ブラジル時間の早朝に横山GMから「来てくれ」との要請があり、その夕方には日本へ向かう飛行機の中にいたという。 |
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| ベガルタ仙台 |
| 1.宮城県仙台市をホームとするJリーグチーム。 2.FWは、1トップでも2トップでも3トップでもなく、カニトップらしい(寒) 3.かつてのチーム愛称はブランメル。確か、商標の関係で愛称を変えたはず。・・・なんだかなぁ。 4.ちなみに、カニトップとは1ビン180粒で2万円という栄養補助食品だそーです。 |
| ベルマーレ平塚 |
| 1.神奈川県平塚市をホームとするJリーグチーム。 2.2000年からは「湘南ベルマーレ」になった。 |
| 変動背番号制 |
| 1.93年から96年までJリーグで採用されていた、選手個人が固有の背番号を持たず、毎試合スタメンが1〜11、SUBが12〜16の背番号をつけるという制度。(通常、GKは1・DFは2〜6・MFが5〜10・FWが9〜11という具合) 2.しかし実態はどこのチームも「半固定」に近い状態であった。レッズでは福田=9・岡野=7・ブッフバルト=6と言った具合。加えて毎試合違う番号を付ける選手も存在し、「混乱を招く」という理由から97年より「固定背番号制」となる。 3.ちなみに「ブッフバルト=6」には悲しい理由がある。変動制では誰が何番を付けるか判らない為に全てのサイズのシャツが用意されていたのだが彼の巨体に合うサイズがなく、6番(参考;ドイツ代表での彼の番号)だけ特注で作らせた為に他の番号をつける事ができなかったのである。 4.それを裏付けるのが96年、怪我の為に2試合連続(対磐田、対G大阪)スタメンから外されたブッフバルトは「12番」をつけていた。 対大阪戦後半から出場したが、洗って縮んだシャツを無理矢理着ている様な印象だった。(でもカッコ良かった) 5.どんなに頑張っても16番までの番号しかない為、デカ旗と並ぶ「シャツ旗」誕生のきっかけともなった。 (この項目すべて:緊褌一番さま) |
| >>> ほ <<< |
| ホームジャック |
| 1.ホームチームのサポーターより、アウェイチームのサポーターの方が多い状態のこと。 2.レッズの場合、最悪でも鹿島以外の関東圏内は全部ホームジャックしている(^^;;;;; 3.「アウェイジャック」という云い方もある。 |
| ホームラン |
| 1.シュートが枠を大きくはずれて遙か上方まで行ってしまうこと。 2.宇宙開発とも云う。 |
| 誇り |
| 1.レッズサポーターの一員であること。 |
| ボランチ |
| 1.ポジションのひとつ。守備的MFの発展系で、攻守の起点となる。 2.このポジションの選手がピッチ上に二人いれば「ダブルボランチ」あるいは「ドイスボランチ」という。三人なら「トレスボランチ」。 |
| 堀孝史 |
| 1.GK以外ならどこでもござれのオールラウンダー。登録はMFで主に守備的MFをつとめる。現在湘南(旧・平塚)に所属。 2.1998年に退団。その年に見せた彼のレッズでのラストゴール(対鹿島戦)は今思い出してもスゴイ、の一言っす。 3.福田の子分。 4.変動背番号制時代、レッズでは「1」と「3」以外のすべての番号を付けたことがあるらしい。オールラウンダーの面目躍如である。 5.(3.)の原因については、遠く1983年までさかのぼる。第62回高校サッカー選手権神奈川予選での決勝戦は彼の母校鎌倉高校と福田を擁する相模工大附属との一戦となったが、結果は堀のゴールで鎌倉高校の勝利、選手権に出場した。(当時堀は1年、福田は2年) 6.92年に堀が東芝から移籍してきた直後から、福田はことあるごとに『俺も(高校サッカー選手権に)出たかったよな〜。そう言えば俺はお前のお陰で出られなかったんだよな〜、あの時。いいよな〜、2度も出られて(注:堀は3年の時にも出場した。)』とねちねちとこぼしまくり、それに耐えられなくなった堀が自ら進んで福田の軍門に下った、というのが真相のようである。 (5〜6:緊褌一番さま) |
| ホルガー・オジェック |
| 1.J開幕当時より低迷していたレッズを優勝争いに参加できるまでに立て直してくれた偉大な監督。 2.99年現在、カナダ代表の監督。ゴールドカップで優勝する活躍を見せるも、2002年W杯は予選で敗れる。 |
| ホルスト・ケッペル |
| 1.97年にレッズの指揮を執った監督。 2.アン○ンマン。 3.どちらかというとジャ○おじさん。 (3:緊褌一番さま) |