浦和レッズ大辞典・タ行
| >>> た <<< |
| 大脱走 |
| 1.応援歌の一つ。「大脱走」のテーマのメロディ。 2.Here we go,We are the REDS ララーラ・ラー・ラ・ラ・ラ・ラ・ラー Here we go,We are to go ララーラ・ラーラ・ラ・ラ・ラ、レッズ! と、歌う。 3.最近、とても良く歌われる。ただ、「ララ浦和」同様歌うのが長すぎて、疲れる。 4.映画「大脱走」、映画の雰囲気からはあまり応援歌に向いているとはいえないと想うのだけど・・・ 5.歌詞訂正。誤:We are to go → 正:We want goal。MDP148号のうそつき!? 6.英語で「グレートエスケープ」とも云う。意味はそのまんまなんだけどね。 |
| 高橋厳一 |
| 1.99年入団のユース上がりのMF(主に左サイド?)。 2.愛称「厳ちゃん」。声がかわいい(笑) 3.99年のレッズファン感謝デーでその声を披露し、観客のハートががっちりつかんだ(のか?)。 4.2001年、モンテディオ山形へ移籍した。 |
| 田北雄気 |
| 1.PK、1対1にめっぽう強いゴールキーパー。 2.たまに「田北キック」と呼ばれるミスパス(ゴールキック)をする。 3.応援コールは「ゆーきー・ゆーきー・たーきーたゆーきー」である。 4.チームで数少ない地元(浦和市)出身者の1人。大卒後、地元のチーム(NTT関東)に入団。地元・埼玉に対してかなり拘っている。 5.2000年は、ついに背番号1を勝ち取り、名実ともにレッズの守護神に。 6.某TV番組の企画で、実はフリーキックがうまいことが判明? 目指せ、日本のチラベルト!(笑) 7.2000年終盤に正GKの座を西部に譲った。このシーズンでレッズから戦力外通告を受け退団。 8.今思えば、Jチームすべての選手名鑑中、GKで唯一「得点」の欄を持っていた。(96.11.9 対フリューゲルス戦でPK) 9.彼のお母さんは埼玉県のママさんバレー会の重鎮だそうだ。(指導者の養成をしている。息子同様の高身長とのこと) 10.木村和司監督のもと、アジア・フットサル選手権の日本代表に選ばれ、しかも試合に出場している。確かに至近距離からの反応は良かったかも…。 (4:菊池涼さま、8〜9:緊褌一番さま、10:Matieさま) |
| 田口禎則 |
| 1.元浦和レッズDF。98年で引退、99年4月の選挙で浦和市議会議員となる。現在もまれに駒場の雛壇などで姿を見ることがある。 2.現役時代はブッフバルト・ボリとともに「赤い壁」形成に一役買う。 3.広島在籍時代から浦和へ移籍後暫くはラフプレイが多かったが、オジェック監督によって再生する。 4.現役時代、車椅子席を購入して体の不自由な方を駒場に招待していた。通称「田口シート」である。 5.解説者としても活躍している。 6.2001年には女子サッカーリーグの浦和レイナスの監督に就任する。 |
| 田島中トリオ |
| 1.浦和市立田島中学校出身の3人(内舘、阿部、室井)のこと。 2.同一高校出身のトリオなら他でもいそうだが、地元の中学校が同じなんて云うのは滅多にあるまい。 3.ちなみに阿部と室井が同期、内舘はその一つ先輩に当たる。 4.この3人、背番号も仲良く19,20,21と並んでいる。 |
| 田中達也 |
| 1.2001年新加入のMF。帝京高校の出身。 2.レッズの「和製オルテガ」。ドリブルを得意としつつ、パスセンスも併せ持つ。 3.駒場デビューは2001年のプレシーズンマッチ(ギャラクシー戦)。途中交代でわずかの出場時間の中で1アシストを記録しサポーターをうならせる。 |
| 田畑昭宏 |
| 1.レッズ期待のDF。97年入団。ストッパーだが、センターバック、ボランチも経験。通称「タバ」。2001年6月に市原へレンタル移籍する。 2.某4コマ漫画だと、顔に縦線が走ってる(笑) 本人の性格はそんなに暗くないと云う話だが。 3.小野伸二が免許を持っていなかった頃、彼を寮まで送り迎えしたのは他でもない田畑である。 4.1年の間に3回連続、同じ場所を骨折する。 5.(3.)の縁があってか、小野とは仲がいい。部屋に小野専用(?)マットレスが常備されているとか。 6.彼も将来を嘱望される人材だが、度重なる怪我に泣かされている。 7.2001年にオランダへ移籍した小野伸二のGoodLuckセレモニーで、敵である市原に所属していたにもかかわらず親友としてプレゼンターとなる。 (5:ひなくらさま/文章はかつらぎ@管理人) |
| ダンマク |
| 1.横断幕の略称。「団幕」あるいは「段幕」とも読める。実際にスタジアムで見ると「弾幕」の様に見える。 2.選手名のダンマク、サポーターグループ名を記したダンマク、チームを鼓舞するダンマク………ありとあらゆるダンマクがある。 3.スタジアムで見かけた他チームの変なダンマクの一例。「サッポロビージュ」(札幌にビジュという選手がいた。もちろんサッポロビールにかけているのだと考えられる)、「セルジオ越後のカベ」(新潟にセルジオというDFがいた。新潟は旧国名が越後という。もちろん、解説者のセルジオ越後ともかけているのであろう)などなど・・・ (1の後半:緊褌一番さま) |
| >>> ち <<< |
| 力関係 |
| 1.とりあえず、私が知っているのは以下の通り。 2.福田>堀、福田>城定。 3.岡野>渡辺。岡野はバブにたかっているらしい(?) 4.山田>岡野。山田は岡野をアッシーにしたことがあるらしい。ほかにも必殺技「とってきなちゃ〜いパス」というものがあるらしい。 |
| チケット |
| 1.ここでいうチケットとは入場券のこと。 2.年間チケットを持っていない人は年に数回早起きをしなくてはならない? 3.ただ、1週間前後待てばキャンセルが出てあっさりと手に入れることができることが多い。また、試合当日の朝に並んでいるサポーターに聞いてみるのも吉。ただし、ダフ屋には手を出さないでね。 4.ちなみに、チケットなしで入場する不届きな行為を「突破」という。J2のアウェイでは運営組織の不手際でチケットがもぎられず、結果として突破となってしまうケースが多い。 |
| 千島徹 |
| 1.MF。1999年現在、レッズユースに所属。10月にトップ登録された。2000年正式加入。 2.レッズユース登録で、トップの出場資格を得たのは、現在のところ彼が唯一の存在である。 3.2000年シーズンの新人の中ではいち早くカップ戦で早くも公式戦デビューしたが、結果は残せず。 4.U−19日本代表候補に何度か名を連ねている。 |
| チッタ |
| 1.本名ミウトン・ケイロス・ダ・パイション氏、2000年12月5日にレッズの監督として就任。元ブラジル代表、トヨタカップで来日の経験もある。 2.ブラジルのバスコ・ダ・ガマ、アメリカーノで指揮を執った経験がある。 3.なお、南米出身のレッズの監督は彼が初めて。 4.ちなみに、「宗教上の理由もあって」酒、煙草を始めコーラ、コーヒー、紅茶もやらないそうだ。 5.「生活がなじめなかった」ことと「思うほどの成績が残せなかった」ことを理由に2001年9月3日電撃辞任。 |
| 中盤ポッカリ症候群 |
| 1.2000年J2リーグ34節の浦和ケーブルの放送で、河合貴子氏が発言。 2.当時のレッズにおいて結構深刻な問題となっている現象で、前線とディフェンスラインが間延びし、中盤にボッカリとスペースが出来てしまう状態のこと。 |
| チョウ・キジェ |
| 1.94年にレイソルから移籍してきたDF。65試合出場。 2.京都生まれ。韓国籍ではあるが洛北高→早大というコースの為、「外国人枠」には含まれないが、かといって日本代表にも入れないという結構考えさせられる背景を持つ。 3.96年ヴィッセル神戸に移籍。 (1〜3:緊褌一番さま) |
| >>> つ <<< |
| ツゥット |
| 1.トゥットの川崎F(98〜99)、FC東京(00)時代の登録名。 2.スペルにすると「TUTO」なのだが、本来の発音は「tommorow」「today」にに近いものだそうなので登録名が変わることになったのだとか。 |
| 塚本高志 |
| 1.浦和レッズの社長。2001年6月27日就任。 2.チームに対して、「勝利に対する“凄まじいまでの”執念を見せろ」と激励を送る。 |
| 土橋正樹 |
| 1.ボランチより下ならGK以外はどこでもOKらしいので、「どこでも正樹」などと呼ばれているMF。 2.某雑誌の四コマ漫画だと、「××です〜」という語調になる。なぜ?(^^; 3.応援コールは「アレ〜、フォルツァ・マサ〜キ!」の繰り返し。 4.頬に袋がある(笑) 5.実は教師の免許を持っているらしい。 6.石井の台頭以後はもっぱらDFとしての出場の方が多い。 7.2000年11月19日、J2リーグ最終戦でJ1復帰を決めるVゴールを決めて一躍英雄に。しかし、某TV局のアナウンサー、「どばし」などといいくさりやがった(怒) 土橋は「つちはし」なんだぞ! 8.レッズフェスタ2001では「土橋正樹J1復帰記念ゴールの地」という、観光名所のようなコーナーもあった。ちなみにコーナーの人気度はナンバー1だったそうだ。土橋のお子さんがこのコーナーに並んだのだが、あまりの人気で順番が回ってくる前に時間切れになってしまったのだとか。 |
| 土田尚史 |
| 1.ゴールキーパー。チームキャプテンも務める。愛称「つっちー」。 2.「野人」の名付け親。 3.「新人いびり」は有名らしい(でも、小野に対してはいびることはできなかったらしい)。 4.おそらく日本一「クリア!」の声が大きいゴールキーパー。でも「ギド、戻れ!」の台詞の方がサポーターには印象深い(笑) 5.応援コールは、「オ・オー・オー・オー・つちーだひさしー、ゴォォルをまもれつちだーひーさしー」である。 6.2000年ではGKコーチも兼任。 7.2000年シーズンいっぱいで引退を表明し、レッズのスタッフとなる。 8.土田の入団(入社)当時、9歳年上の現役FW原博美が在籍しており、口にこそ出さなかったが「随分年配の人と一緒にプレーするんだなあ。」と思ったという。 9. 12歳年下の小野の入団時、その事を思い出した土田は挨拶に来た小野に開口一番「おめぇ、まさかジジィと一緒にサッカーやるなんて思ってないだろうな?」とすごみ、小野をビビらせたらしい。しかし小野に対してはここまでが限界だったという。 10.三菱重工での彼の業務は「ビー○ーエアコン」を海外に輸出するセクションで、当時の上司(部長)が森孝慈であったなど、サッカー部と表裏一体をなす部署であった。 11.大阪経済大学在学中、当時代表監督だった横山謙三氏に見込まれて代表入りする。(Aマッチ出場はなし) 12.横山氏がレッズ監督に就任した94年「久しぶりに見てみたけど全く良くなっていない」と、相当絞られたらしい。それ以降、積極的に飛び出して行く姿勢はRSPから支持を得ていたが、当時のインタビューで「(飛び出していく事が)恐くないですか?」の質問に「出るべき時に出ないで、後で監督に怒られる事の方がもっと恐い」と答えていた。それほどまでに・・・。 13. 2001年のレッズフェスタのオークションコーナーで、隣にいた西野と宮沢(だったと思う)に「お前ら、(試合に)出れるうちが華だぞ。俺なんかもう出たくたって出れないんだから。」と語っていた。ひょっとして引退を後悔してるのか??? (8〜13:緊褌一番さま) |
| >>> て <<< |
| ディプシリン |
| 1.規律のこと。 2.サッカーにおける約束事。監督によってはそれは私生活にも及ぶ。プロサッカー選手たるもの、紳士たれってことだね。 3.規律がないのは問題だが、きつすぎるのも問題といえば問題。 4.ア・デモス監督は、規律の一つとして、移動バスの中での携帯電話の使用を禁じたそうだ。 5.実は、レッズの選手には喫煙者が多いらしい……… |
| デカ旗 |
| 1.文字通りデカい旗。横幅にして4〜50mはある? 真ん中はハートにサポーターの番号「12」が刻まれている。 2.赤・白・黒の3本がある。一度に出るとこれがまたかっこいい。 3.98年W杯予選の際は、白のデカ旗は日本代表用に日の丸旗に改造された。 4.駒場スタジアムの倉庫に保管されている。 5.さすがにでかすぎて手入れができず、結構汚かったりする(^^; 6.情報によると、2001年開幕戦に備え、COMPAQ社が既存の3枚を上回る巨大なデカ旗(タテヨコ数十m)の寄贈を決定したらしい。 7.寄贈の形態について(旗そのもの、生地、費用負担)は01年2月の段階では不明。デザインについてもまた然り。 8.2001.4.29の国立の鹿島戦ではCurvaESTのデカ旗がデビュー。これの難点は大きさの関係で駒場で使えないこと。ちなみにこの旗にデザインされているものは上段左より「B-ROCK CREW」「URAWABOYS sez SNAKE」「BOOTS BOYS」「OUTSIDERS」、中央部が「URAWABOYS」、下段左より「X-LINE」「R-NETTERS」「URAWA RED A BRIGADE」「U-UNITED」。但し、鹿島戦時はU-UNITEDのところはゲバラが描かれていた。 (6〜7:緊褌一番さま) |
| 出島 |
| 1.駒場スタジアムのアウェイサポーター席のこと。 |
| 徹夜 |
| 1.レッズサポーターの恒例行事。 2.駒場では混乱とトラブル(身内・近隣住民を含めて)をさけるため、「朝4」「朝7」といったルール(不文律ではあるが)がある。なお、本辞典では「朝4」「朝7」については解説しません。 3.「朝4」「朝7」は2000年9月、クラブの意向があって廃止されているため、徹夜という行事はアウェイか国立でしかお目にかかることが出来なくなった。 |
| テレビ埼玉 |
| 1.埼玉のUHF局(38ch)。 2.浦和レッズのホームゲームのほとんどを放送してくれるありがたいテレビ局。これからもよろしくお願いしますね。 3.99年、20周年を迎えたが、それでもモノラルオンリー。千葉テレビとかはステレオ放送あるのになぁ。ちょっと寂しい。 4.2001年4月1日からステレオ放送やってます。 (4:横浜 茂行@葛飾さま) |
| >>> と <<< |
| 東京ヴェルディ1969 |
| 1.なんか最近、そーゆーチームがあることを知りました(笑) 2.………ってのは冗談で、ヴェルディ川崎が2001年、東京調布市にホームを移転したことを受けてクラブ名を変更したもの。 3.川崎フロンターレに川崎市民の心が流れてしまい、ホームを移転したが東京都民の心はFC東京に掌握されていたという悲しいチーム。京王線新宿駅構内の東京ヴェルディ1969の応援パネルは「川崎に帰れ」と落書きをされてしまい、一度取り替えたが再度「川崎に帰れ」と書かれてしまったあたりからも都民からはいらんと思われていることがうかがわれる。因みに同じように掲げられたFC東京の応援パネルはいつまでたっても綺麗なままである。 (3:リトル・グレイさま) |
| 東京スタジアム |
| 1.東京都調布市にある、5万人収容のスタジアム。 2.誰が云ったか、「ミニ横国」。 3.FC東京が本拠地としており、東京ヴェルディ1969が間借りしている。…なにか違うかもしれないが、このさい気にしないでおこう(笑) |
| トゥット |
| 1.本名はリヴォニル・ルシェル。トゥットは通称。2001年、FC東京から移籍してきた。 2.2000年までは「ツゥット」だったが、登録名が変わった。 3.ポジションはFW。2000年はJ1で17得点(リーグ総合3位)を取ったという点取り屋。 4.とあるサイトにトゥットの「取扱説明書」があった(笑) 5.トゥットのコールは、ミッキーマウスの曲で「おまえのために歌うのさ、さあ見せてくれよトゥットトゥットゴール、おまえのゴールで俺達を、踊らせてくれよトゥットトゥットゴール、トゥットゴール、トゥットゴール、オオオ…」。 6.00/11/19、彼は駒場に見に来ていたそうである。そこで,もっているもの全てぶちまけていたRSPのサポートぶりを見て移籍を決意したらしい。 7.池田=ロボ=学より2歳年上というと納得できるのに、山田暢久より3歳年下ないし永井雄一郎と同い年というとなんとなく納得できないのは何故だろう……(笑) (6:緊褌一番さま、7:リトル・グレイさま) |
| トニーニョ |
| 1.本名はアントニオ・ベネティッド・ダ・ジルバ。ヴェルディ時代に日本リーグ得点王を取ったことがあるらしい。その後エスパルスに移り、エスパルスからレッズへレンタル移籍。 2.「生まれながらのFW」と自ら語るほど得点感覚に優れているが、レッズでは深刻なDF不足から途中からセンターバックとして出場。それでも会場のアナウンスでは「FW・11番トニーニーニョ」。彼のプライドを感じる。 3.彼の得点後のパフォーマンスはエスパルスのスポンサー「JAL」にちなんで「飛行機」だったが、レッズ移籍後「自動車」なるパフォーマンスを披露するがあまり反響はよくなかった。 4.レンタル終了後、エスパルスに戻り見せた「ラボーナシュート(右足と左足をクロスさせて打つシュート)」には横浜Mの川口も腰をぬかした。 5.レッズ加入当時、「俺の飛行機パフォーマンスは読売クラブ時代からのオリジナルだから変える気はない。」と言っていた。 6.しかし加入後には『自動車』。某TV番組でも「親会社に気を使うトニーニョ」と紹介されていた。 7.エスパルスに戻る時の彼のコメント。−−−『サポーターの皆さん。(中略)私が駒場でゴールを決めた時には飛行機でなく自動車パフォーマンスをお目にかけましょう。』−−−しかし実際に『自動車』を見る機会はなかった。見たかったような、見たくなかったような・・・ (1〜4:宇部さま、5〜7:緊褌一番さま) |
| ドニゼッチ |
| 1.ドニゼッチ・フランシスコ・デ・オリベイラ。ブラジル人MF(ボランチ)で代表の出場経験もある。2001年、クルゼイロより移籍加入。 2.過去に川崎F・磐田などがオファーを出したことがあるが、その際は来日していない。 3.過去、ヴェルディ川崎にドニゼッチという登録名の選手がいたが、その選手とは別人。 4.お気に入りは自分のイニシャル「D」が入っているからという理由で中日ドラゴンズの帽子。 5.半年間で3度も怪我で離脱するなど結果を出せなかったため、エメルソンの加入を受けて登録を抹消された。 |
| 富山騒動 |
| 1.94.11.19(←!)富山で行われた2nd最終節、対マリノス戦終了後、RSPがグラウンドに乱入した事件。 2.この乱入は単なる破壊行為が目的ではなく、その背景に、 ・前年の森監督から横山監督にスライドしただけでこれといった改革が見られない。 ・その横山監督のシーズンを通しての再三再四におよぶ不可解な采配。 ・駒場の再改修は仕方ないが、ホームゲームが何故富山なのか? といった長年積もり積もった要素があり、3−6という大量失点での敗戦が引き金となって爆発するという最悪の展開であった。 3.後日、クラブとRSPの間での交渉の場が持たれ、翌年、初の外国人監督であるホルガー・オジェックを招聘し、うってかわったような快進撃となったのは周知の通り。 4.思えば『レッズには上信越・北陸地方は鬼門である』というのはこの頃からの伝統のようである。ああ、嫌だ。 (1〜4:緊褌一番さま) |
| ドラマ |
| 1.レッズの場合、必要以上に盛り上げてくれる。特に、2000年シーズンの昇格争いと来たら……… |
| トリビソンノ |
| 1.本名:TRIVISONNO, Marcelo Angel。 2.93年、最下位に低迷するレッズの大黒柱。 3.最終ラインの統率が取れていなかったため、よくファールをして失点を防いでいたが、赤をもらうことも多く試合に居ないときもしばしば。レッズをこよなく愛した外人のパイオニアであり、93シーズンの最後の駒場を一周回るときには涙をいっぱいためている彼の顔が印象的であった. 4.キック力に長け、センターサークルあたりからシュートを打っていた。 5.彼の応援はちなみに「おお、トリビ、おお、トリビ、おお、トリビ、おおトリビ。おれ、おれおれおれ」である。これは田口や西野の応援の元祖となったもの。 (1〜5:宇部さま) |