浦和レッズ大辞典・ワ行

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>>> わ <<<
 
渡辺敦夫
1.ストッパータイプのDF。
2.岡野の大学の後輩。けっこうたかられていたらしい(笑)
3.通称、「バブ」。歌手マイケル・ジャクソンの飼い猿バブルスに似ているからだとか。
4.1999年で退団。2000シーズンでは、浦和ケーブルテレビで解説をやっていた。
吾亦紅
1.「われもこう」と読む。レッズ選手の下宿。
2.大原から比較的近い場所にあるらしい。
3.新入団の選手は必ずこの寮に入らなくてはいけないらしい。
4.2000年の「ファイナル5」では横山総監督もこの寮で寝泊まりしたとか!?
 
>>> 数字 <<<
 
1位
1.1位………すなわち、優勝。それこそ、我らレッズサポーターが最も望むものである。
2.逆から数えるのは勘弁して。
3.観客動員数だけはいつも1位。
12
1.「12番目の選手」であるサポーターを示す番号。
2.Jリーグでは『基本的に欠番は認めないがこの番号だけは例外として認める』という、にわかには信じられないような規定がある。
(1〜2:緊褌一番さま)
1999.11.27
1.我々RSPが決して忘れてはならない屈辱の記憶。
2.また、選手・フロントなどの当事者達は、RSP以上に忘れてはならない日。
2000.11.19
1.我々が再び栄光へのスタートラインに戻った日。
2000円問題
1.西暦2000年問題発生目前の1999年12月に発覚した問題。
2.J2陥落の浦和が2000年シーズンのチケット代をJ1時代の金額のまま据え置いたことがサポーターの反感を買い、問題となった。
3.ちなみに2000円とは据え置きされる自由席のチケット代。 命名者はNACK5DJの大野勢太郎か? 略して\2K問題ともいう。
(1〜3:赤い靴さま)
2000年問題
1.我らがレッズのY2Kといえば、J2陥落の責任を、減俸と降格だけでお茶を濁そうとするフロントのことかな?
2.小野伸二の移籍か残留かの問題も、重大な問題だ。
3.そうした出来事も、喉元(1月)すぎれば熱さ忘れる、で風化していった・・・
3−4−3
1.DFが3人、MFが4人、FWが3人というシステム。
2.3−4−3といえばアヤックス、といほどオランダリーグのアヤックスはこれにこだわっているらしい。
3.レッズもこのシステムを採用していたらしいと聞いたんだけど………よくは知りません(汗)
4.「たくさん点を取りに行くサッカー」を目指して森孝慈監督が採用したシステム。92年ナビスコカップではそこそこ機能していたが、93年のシーズンでは全く機能せず、わずか4試合で挫折した。
(4:緊褌一番さま)
3−5−2
1.DFが3人、MFが5人、FWが2人というシステム。
2.両アウトサイドのMFはウイングバックと呼ばれる。
3.レッズがこれをやると、ウイングバックもディフェンスラインにはいるので実質5−3−2になってしまう。
4−3−3
1.DFが4人、MFが3人、FWが3人のシステム。
2.盛田の加入を受けた原監督(当時)がこのシステムに挑戦したが、わずか2試合で挫折。
4−4−2
1.DFが4人、MFが4人、FWが2人のシステム。
2.このシステムの場合、通常ラインディフェンスとなるので、DFに決まり事がしっかりしていないといけない。
3.両アウトサイドのDFはサイドバックと呼ばれ、攻撃の起点にもなる。
54人
1.94年度の浦和レッズ選手登録者の総数。うち外国人選手7人(94年5月以降、ウエハラが帰化した為6人)
2.30人でも「多すぎる」とされる海外のプロチームの常識からすれば驚異的な人数。もっとも当時はJリーグ全体が世界一の大所帯であったが、その中でもダントツの人数だった。
3.それでも1st→最下位、2nd→11位、年間→最下位と全く振るわず、大リストラを行う事となった。何を思っての増員だったのか、今では謎だけが残る。
(1〜3:緊褌一番さま)
1.レッズの背番号「6」は「闘将」に与えられるべき重要度の高い番号といえる。
2.固定背番号制になってからの初代「6」番はギド・ブッフバルト、その跡を継いだのがゼリコ・ペトロヴィッチ。共に闘将でありレッズの精神的支柱となってきた。
3.2001年、3代目の「6」は石井俊也。活躍に期待しよう。

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